近年のデジタル技術の発展により、臨床試験の実施方法に大きな変革がもたらされています。その一環として、「分散型臨床試験(DCT: Decentralized Clinical Trials)」が注目されています。DCTは、従来のように主要な試験施設に参加者を集めて実施する方法とは異なり、被験者が自宅や地元のかかりつけ医などのサテライト施設を活用して臨床試験に参加できることを特徴としています。
◾️「臨床試験」とは?
「臨床試験」とは、新しい医薬品、治療法、または医療機器の安全性や効果を評価するために実施される科学的な研究です。臨床試験は医療や薬学の分野で重要な役割を果たしており、新しい治療法が実際に人間に対して効果があるかどうか、また副作用がないかどうかを確認するために行われます。
従来の臨床試験では、被験者が実施施設を訪問し、治験責任(分担)医師をはじめとする医療スタッフと直接対面して実施することが前提条件にありました。そのため、実施施設との物理的な距離や時間の制約等で、試験への参加者や対象となる患者層が制限されるという課題がありました。
◾️「分散型臨床試験(DCT)」とは?
分散型臨床試験(DCT)は、試験活動を複数の場所に分散させるため、より広範囲な患者群へのアクセスが可能となります。
被験者はインターネット上から臨床試験の情報を得て、試験への参加を希望する場合は自らアクセスして申し込むことができます。医師は遠隔から電子的な方法を用いて参加者に試験の説明を行い、同意を取得します。その後、試験薬は被験者の自宅に直接配送され、服薬後のデータは被験者が身につけるウェアラブルデバイスやスマートフォンアプリの電子日誌から継続的に観察・収集されます。このようにデジタル技術を活用することで、被験者は距離的・時間的な制約を受けることなく試験に参加することができ、被験者の利便性や参加意欲の向上へと繋がります。
【DCTの可能性と課題】
・デジタル技術の利用
被験者募集、インフォームドコンセント(医師や医療従事者が試験に関する説明を行い、被験者が納得した上で同意するプロセス)、同意書の収集、薬剤の配送および服薬指導、患者報告アウトカムなどのプロセスは、テレメディスンやウェアラブルデバイス、IoT遠隔モニタリングなどのデジタル技術を利用して進行します。これらの、リモート技術を活用したデータの収集や監視により、被験者の通院の負担が軽減されます。
完全な分散型試験では、患者募集からデータ収集までのすべてのプロセスが遠隔で行われ、試験チームと被験者の直接的な接触はほとんどありません。ただし、現在の日本では完全にデジタル化・分散化された試験の実施は難しく、必要な採血や検査は被験者の自宅近くの医療機関で実施するなど、施設と自宅での実施を組み合わせた「ハイブリッド型」が国内のDCTの主流となっています。
・ データセキュリティ
試験の実施にあたっては、被験者のプライバシーを保護するために、データの暗号化や安全なデータ保存など、厳格なデータセキュリティ対策が必要です。日本においては、「医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律」や「GCP(Good Clinical Practice)」、「個人情報保護法」等を遵守することが、試験プロセスの信頼性と一体性を維持するために重要です。
さらに、データアクセスの制限を設けることで、許可された関係者のみがデータにアクセスできるようにし、不正アクセスのリスクを低減します。定期的なセキュリティ監査や脆弱性評価を実施することで、システムの安全性を常に確認し、必要に応じて対策を更新します。
・ 被験者の教育とサポート
被験者がデジタル技術を効果的に使用できるよう、十分な教育とサポートを提供することが重要です。使用するアプリやデバイスについては、詳細なガイドラインや動画などによる説明を提供し、操作方法をわかりやすく説明します。また、技術的な問題が発生した際には、迅速に対応できるサポートチームを用意し、電話やチャットでの問い合わせが可能な体制を整えることが必要です。
加えて、被験者が自己管理を行いやすくするためのツールやリソースの提供も重要です。使用するアプリやデバイスは、直感的なデザインが施されたインターフェースを用いることで、誰でも簡単に操作することができるため、利用者のストレスを軽減します。また、必要な情報や機能に迅速にアクセスできることで、被験者の参加意欲を促進します。
・ 医療システムとの統合
既存の医療システムとDCTが統合されることで、異なるデータソース間での情報のやり取りが円滑になります。例えば、電子カルテ(EMR:Electronic Medical Record)や診療システムと連携することで、被験者の健康情報や治療履歴がリアルタイムで更新され、試験のデータと統合されます。
医療提供者は、被験者の試験への参加状況や健康状態を一元管理できるようになります。これにより、症状の悪化や副作用が発生した場合、即座に対応策を講じることが可能になるなど、参加者の進行状況を正確に把握し、必要に応じて介入やアドバイスを行うことができます。
国内では、医療機関の電子カルテ(患者の医療情報を記録するデジタルシステム)から製薬企業のEDC (Electronic Data Capture: 臨床試験データを収集する専用システム)への臨床データの連携が注目されていますが、現状では、電子カルテとEDCの互換性・製品間の違いなどにより、業界全体での普及が進んでいません。
試験の業務効率を向上させるためには、データ連携に必要なシステムの整備や普及が求められます。また、臨床データの収集形式を医療機関と製薬企業間で標準化・最適化するなど、業界全体の協力が必要不可欠となります。
分散型臨床試験(DCT)は、医療の未来を切り開く革新的な技術ですが、国内での実施にあたっては、医療機関での運用の整備やステークホルダー間のすり合わせ、セキュリティ担保など、規制面・技術面・運用面で多くの課題が残されています。今後は、医療機関、製薬企業、CROやサービスプロバイダー間での事例の蓄積と共有、連携が一層重要となります。